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こんばんは、農園主です。

うちの奥さん。最近自らブログを書く書くと言って、言ってみたはいいものの、何ヶ月も経過している今日この頃。

さて彼女はいつ重い腰をあげるのか・・彼女のタイミングに任せるとしましょう。

さて、お庭も大切な我々の管理する自然の一部。

ということで、やっとこ11月恒例の庭木の剪定作業が終わりました。

いつもお世話になっている植木屋さんと一緒に、僕らも剪定後の枝木や葉っぱの処理に追われました。

近々目指すイメージの「 雑木の庭 」

現在の当農園の庭木は、祖父の時代に、塩屋の邸宅の方々から譲って頂いたものが中心になっていて、当時の高度経済成長期という時代を思わせる構成になっており、これからの時代に向けて全体的な見直しの時期に来ているのです。

いろんな人々の思いがつまった庭木ではありますが、私の代で大幅に手を入れる予定で動いています。

今日は大きなバベの木に、毎年毎年キジバトが巣をして雛が巣立っていくのですが、今年も巣を発見!

既に巣立ったあとのようでひと安心 ^ – ^ また来年会えることを楽しみに。

キジバトちゃんの巣です。雛はもう既に巣立っており、真っ白な卵の殻がありました。
キジバトは毎年同じところに巣をする習性があるようで、また来年も会えるのが楽しみです。

そして、大豆の収穫作業から夕方に戻ったら、なんとこんな物が届いているではありませんか!!!?!

↓私の 大切な田んぼ仲間であり、尊敬する先輩農家さんでもある、福井県は若狭町の『保志公平さん』からの 糀 !!

※以前、東京で私がイベントをした時にも、ゲストスピーカーで参加してもらった保志さん

当農園のブログで紹介した当時のイベントの記事

実は今年の作付け前の冬、福井からとある餅つきイベントで神戸に来られていた保志さんがうちに来られました。

その時に、イセヒカリの種籾が必要との事だったので快くお渡ししたわけなのですが、そしたらそしたら、こんな凄いことになって戻ってきたではありませんか!!!

そして何をかくそう、私がイセヒカリと初めて出会ったきっかけが、実は 保志さん なのです。

私が稲作で農業を志し、右も左もわからなかったよちよち歩きの頃、どうしても不耕起栽培というものにこだわりたかった自分がいました。

とにかく、日本で不耕起栽培で稲作を実践されていて、趣味や自給自足の領域を越え、きちんと経済活動として、経営として成り立っている「プロ」をこの目でみてみたい。

という思いから、調べに調べて辿り着いたのが、当時の 保志さん だったのでした。

イセヒカリ。初めて聞くその名前、、でもその時のフィーリングがとてもよかったということもあり、

保志さんが当時作られていた種籾を譲り受け、就農一年目で初めて作付けしたのが、全てのきっかけでした。

それから時は経ち、日本古代稲研究会、現在の赤米を中心とした古代米の復活と普及における中心人物だった、京丹後の香山さんから、彼の直系の最後のひと穂のイセヒカリを私が譲り受け、現在は香山さん直系のイセヒカリをずっと継承しているというのが、私とイセヒカリの歴史になります。

※香山さんはその人脈から、伊勢神宮の御神田でしか作られていなかったイセヒカリを、初めて一般人で一般田で作付けした方になります。

そんな偉大な諸先輩方のいろんな思いがつまったイセヒカリ・・・この度、まわりまわって巡り巡って、保志さんのところにかえって、更に糀に生まれかわって・・私のもとを訪れるという・・なんという御縁なのでしょう。

ひびきあい・むすびあい・わかちあい

保志さんが掲げられているポリシーとも言える、彼の農園のスローガンです。

※保志さんの農園 田庭ひびき家 

保志さんは、既に地域の重要な担い手であり、圃場整備された広大な田んぼが広がるような地域で、年々経営面積も増えるというような状況の中、不耕起栽培で全ての面積を管理するのは限界だったようで、現在は田んぼは耕起されてはいるものの、いつも素敵な空気とともに、大きな志しと強い信念と共に、自分の田んぼ道に邁進されている素敵な保志さん。

不思議なチカラ、みえないチカラで ひびきあい・むすびあい・わかちあい この時間を共にする一つの輪。

それはある意味、とてもとても大きな大きな、ひとつの 生命体 なのかもしれませんね。

感謝。

農園主