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存在する全てに 情報 が宿っている。

意識的に生きる。

私が日頃一番気にしているところかもしれません。

小難しいやつだな。とか とか思われるかもしれませんが、全然okよ~

今まで数えきれないほどの失敗と、それによって周りにたくさんの迷惑をかけてきた結果辿り着いた、確固たるポリシーだからね。マジで。

さて、皆さんこの写真を見て何を感じますか?

これ、dWellという建築系媒体のshop コンテンツへの誘導AD(広告)です。

これ見た瞬間。いやー素晴らしい!流石!!

と僕、マジで感心しちゃいました。

写真一枚で、これだけ伝えられるのだから凄いよねほんと。

僕はコーヒー飲みたくなって、コーヒー飲みながらこのADをクリックしちゃいましたよ笑

さて、これ何気ない一枚ですが、僕なりに解説しますね。

まずパッと見て言いたいことがズバン!!と伝わってくるわけですよ。

多分もうそれだけでこれ作った人たちにとっては成功なのよ。

なんで伝わるかっていうのを紐解くと↓

まず湯気がたっていていかにも香り高そうなコーヒーが画面中央に配置され、しかも明度が一番低いのでまず最初にパッと目が行くわけです。四角という画面に対して対照的な円形のカップなのも構成要素としては◎

そんでもって画面右上対角線上に伸びる持ち上げるような大きな「軸」ですね。ムーブメントとも呼びます。

んで、その大きな画面軸に沿うようにテキストメッセージ(商品名)が右上へと流れます。

※木目などがメインの画面要素に相対する比べると無機質なパッケージのグラフィックデザインの余白や間が更に双方を際立たせていますよね、

ただ、右斜め上に引っ張る軸が今度は強くなりすぎるので、左対角上部にコースターを少し見せて左上に引っ張り画面全体のバランスを取り、

最後に、上に引っ張られすぎたムーブメントを『カップの取っ手』を!右下に! することによって画面全体の動きを調整して調和させた!

という一枚なんです。いやーすごい。

多分この写真の作り手の思考プロセス。これであってると思うよ。

この演出の最大の役者、主役は間違いなく「カップの取っ手」なんだと思います。

そんでもってもっと突っ込むと、暖色の全体の雰囲気に対して

一番みせたい中央のコーヒーのカップの色を『 補色 』にし、

どぎつい原色ではなく周りの暖色グレーに共鳴するかのように、きちんとグレー補色にしているところもわかってますよね〜

更に右上のパッケージのテキストを同調する緑にすることによって、画面内での繋がりを作り、かつ右上への軸も創出して画面に張りを持たせていたりします。

ただの写真、ただの絵ですが、意識的に見るとすごく色んな情報が詰め込まれている事に気づきます。

さて、今日の本題ですが、存在する何もかも、その全てに 『 情報 』 が宿っているというお話。

読み取るのも、スルーするのも、チャンネルを合わせるのも外すもの自分の意思に任せられていて、意思決定は全て人それぞれの「自由」です。

でも、自由意志だからこそ、情報に対して漫然と接していては、自分にとって必要な情報でも、いつまでたってもそれが手に入らないという事になりかねません。

「意識する」事で人生で流れる時間の中の質が大きく変わってくるのではないでしょうか、

生きる時間の長さも大事かもしれませんが、その質はもっともっと大切なのではないかと思うわけです。

今日は、この春から小学高学年になる長男が、自ら「アカハライモリの水槽をレイアウトしたい。」と申し出てきたので、意欲を買ってやらせてみました。

んー、まだまだ子供なので、、というのを置いておいても、人それぞれ生まれ持っての思考の癖があるので、正直、結構とても苦労していました。

結果的には思い通りのものを時間内に作れなかったのですが、原因はやはり、やりたいという思いだけが先行し「結果やプロセスを深く考えないで、というか何も考えないで適当に漫然と始めてしまった」事にあったようです。何事も学びですね。

大体人間というものは「適当にまずは動いてみる」という事をします。

そして、勘のいい人や持って生まれたものがあるような人は、そこでたまたまうまくいってしまったりしますが、逆に損で、いつか必ずどこかで壁にぶち当たります。それが大人になってからだとかなりキツイ・・・

普通はどうあがいても適当に進んでも「コンスタントにある一定レベルを維持できない」です。

プロとアマの大きな違いは、お金を稼いでそれで生活しているか否かもそうですが、

高い品質を高次元なアウトプットを「継続できているか否か」なんだと思っています。

感性は磨きつつ、人生の早い段階で事象に現象に対して意識的になる事を覚え、

創造をプロセスで捉え、しっかりと組み上げていけるようになる事はその後の人生においてとても大切な事なのだと私は思います。プロセス構築やマネジメントの話は学校で早い段階でまずは教えるべき事だと個人的には思います。

でもそんなのわかってるけどやらないのは、世界にしっかりした人が沢山育ってしまうと、逆に都合が悪いからというのも理由のひとつなんでしょうね、

あと、建築を例にとるとわかりやすいですが、

建て始めてから手直しする事はできなくはないですが、引き返したり作り直したりする事は、お金と労力と時間の無駄ですよね。

油絵でもそうですが、画面上で色々と動かす事はできますが、実際にはそれはできません。できないのです。

表現なんて何でもいいじゃんと言ってしまえばそれまでですが、基本的には油絵には乾かした下地が必要であり、その下地を活かして上塗りがあり、その上塗りが更に下地となり、上塗りがあり、全てのプレセスの結果作り上げられた絵の具の層が結果として完成形となります。 意外とみんなこれ知らないよね。

要は、意識的に組み立てないと、構成しないと、偶然に出来上がるなんて甘い話は、どの世界にも存在しないって事です。

感性やノリできてしまう場合も稀にあったりしますが、同じレベルは絶対維持できません。

「一事が万事」という言葉を私は指導の際に多用します。

一つの事がしっかりできる人は、他のどんなことも大体できる。でも逆に一つの事をしっかりできない人は、他のどんな事をやってもできない。

という事です。厳しいし冷酷ですが私は真実だと思います。

だから、人材をみるときには、大きな仕事を任せる前に、雑用をやってもらいます。

何故雑用か、結論、雑用をしっかりこなせる人にしか、絶対に大きな仕事はこなせないからです。

資料作成でも鉄則があり、成功のコツは絶対にアプリ上であれやこれやと動かさない事です。

まずは、エスキースというか下書き的な紙ベースの落書きの中で、動かし、しっかりとイメージができるまで突き詰めてからツールで清書します。

何も発想が出てこなくて、画面のニュアンスから起こしていくパターンもなくはないですが、そんなスタイルは稀です。

だってそうでしょう?家を作るときに、二階建てを作った後で、全部潰してまたを作り直す。なんてこと普通しないでしょう?

それと一緒で、突き詰められていない案を安易にgoしないことがまずは鉄則です。

そして、完璧に突き詰めたと思ってgoしたとしても、それでも、それでも、失敗するのが普通ですからね。

という事で、今日は「意識的に生きる」というキーワードで書いてみました。

それではまた!

農園主