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生まれ持っての個性

子供の時から、物心ついた時から、今まで本当にいろんな生き物を育ててきた。

自分の人間の子供も、人間といえば社会では人材を、本当に沢山育ててきた。

そんな僕だが、ここにきてある結論に辿り着いた。

「産まれてきた個体それぞれに『生まれもって備わっている個性』が、その個体のその後のほとんどを決定してしまっている。」

ということだ。

まあ、各個体はこの世界(脚本・台本)の中のプログラムの一つなのだから、最初から属性割りされているのは、そりゃそうか、という感じだが、まあそんな感じだ。

鶏と日々接していて、自分の子供たちと毎日接していて、これは本当に揺るぎないことだと確信する出来事に日々遭遇している。

人間で言えば、親が優しく接すれば優しい子になる。という甘ったるいことを論じている評論家などが存在するが、そんなことは皆無だ。

生まれもって無意識に自己中心的な子はその後も基本的にずっと無意識に自己中心的なのだ。

生まれもって気の利く子はその後も基本的にずっと気が利いている。そんな具合だ。

産まれ出て、その後の環境がその個性に更に影響をかける。そしてそれが更に深まったり薄まったりしていく。そんな具合だ。

鶏だって全部、1匹1匹、生まれもっての個性がある。

見た目も思考も行動パターンも全部それぞれ違うのだ。びっくりするぐらい違うし、知能にも差がある。

タガメだってそう。個体別に個性が存在するのだ。

だから、広義の多様性を考えると、生き物の種類や属性別の多様性を越えた、それぞれの個性も含めた無限のパターンが存在することになる。

変化する環境。新たな時代。さまざまな今後の未来のパターンに柔軟に対応して命を繋いでいけるように創造主が取り計らった結果だと私は理解している。

だから、管理する立場としては。いろんなパターンがあることを前提に、余裕をもって生物である個性を見守る。そしてその個性に対応するべく様々な視点での「余裕」が必要なのだと思うのである。

我々は、この世界を作ることはできない。自分で作り出しているわけでもない。

ただ、無数のパターンからそれを「選択する」自由は与えられている。

というかそれしかやることはない。

観察し、選択する。それだけだ。

今年も本当にいろんな命と関わり合ってきた。

みんなに勇気と力をもらってここまできた。

***

今日は、最後に先日クマゼミの羽化に子供たちと一緒に立ち会ったので、その画像を貼って終わりにしたい。

セミは夜温が35℃以上だとうまく羽化できないらしい。家の中は涼しいのでちょうどよかった。

約5年、土の中で頑張ってきた命だ。この個体がまた新しい命を繋いでいってくれることを願って・・

農園主

夕方、地面を這っているセミの幼虫を発見した三男が幼虫をそっと見守る。

アライグマの罠の上に鎮座する後藤もみじの雛たち。この子たちも随分大きくなった。鶏は本当に賢い生き物。犬や猫と同じくらい知能が高いんじゃないかな。いや、それ以上かも。