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胸騒ぎの理由・・

表示灯株式会社

昨年、東証二部に無事上場を果たしました。

駅の改札を出たところにある地図の案内板。実はあれは広告モデルで全国の駅に設置されている「ナビタ」という媒体です。

表示灯株式会社は、名古屋の 吉田大士さん が一代で築き上げた日本を代表する広告会社です。

あ、皆様こんにちは、農園主です。

実は私、以前若かりし頃、表示灯株式会社の部長だった時代があるのです。。

関わっていた当時、創業者である、吉田会長、ならびに上田社長には大変お世話になりました。

今年の年明けに、最近忘れかけていた古巣のことが何故か気になって、久しぶりにホームページを開いてみました。

お知らせ・・【訃報】代表取締役社長の逝去に関するお知らせ

なんと、、、、何か胸騒ぎがしたのがこれだったとは・・

上田さん。。。

生前は本当にお世話になりました。

この世界で、私のことを認めてくれた数少ない方のおひとりです。

私が当時ラボを任されて、事業部長として駆け回っていた頃の表示灯は、ちょうど上場前の調整のあれこれを始めようかという時期でした。

過去を振り返ると、私が在籍して関わった会社のほぼほぼの会社が、実は上場を検討しているというタイミングが何故か多いのです。

上田さんはとにかく、物凄く頭のキレる方でした。

平穏な中にも、うっかり変な事をしゃべれないという緊張感が常にありました。

彼は長銀の元幹部だったということもあり、それはそれは世俗の色々を、生々しい現場と現実をその目で見てこられた貴重な方でした。

その彼の発する言葉には言動には重みがあり、私の尊敬する方のお一人でした。

さすが金融出身ということもあり、数字においては完璧で、マネジメント能力も秀でており、人望厚く、謙虚で人にはきちんと逃げ道を作る・・

彼はまさに社長の器でした。

終日タバコをふかし続けている事だけが(飲み歩きすぎるのも)難点といえば難点でしたが笑

二人で東京本社の地下ホールにある大会議室のホワイトボードにアイデアを書きなぐっては、色々と将来の事を語り合っていましたね。

私は、発想が奇抜だったらしく、なんとなしに言う意見が結構過激だったらしく、

当時は農業の新規事業も提案したのを覚えています。

どこからか他の社員さんの耳にそのことが入り、猛反発を食らったのを覚えています。

でも上田さん。皆さん。

時期尚早に感じられた、的外れに思えた農業だったかもしれませんが、

農業。今となってはどうですか? なくはないでしょう?

みんな今になって、これからの10年を見て、更にわかってくるでしょう。

でももう、そんな事を語り合う 上田正剛 という存在はこの世にはいません・・

毎日、日本経済新聞を隅から隅まで熟読していた彼、ひかり農園が当農園が、日経新聞に大きく取り上げられた2015年10月8日。

きっと彼も日本経済新聞を見て、私のことを、私たちのことを、その存在を活動を知ってくれた事と信じています。「あいつ、マジでやりやがったんか。。」とびっくらこいてもらえていたら本望です。

上場で増資したら、上田さんの夢だったナビタの新しい次世代の媒体を是非作ってください。

あの時のアイデアやラボで色々とテストマーケした事柄は、きっと無駄じゃなかったんだと思います。

人は、いずれこの世を去ります。

あの世には何も持って行けません。

でも僕は、上田さんと過ごした、あの童心にかえって語り合った日々を忘れません。

ありがとう。

どうかゆっくり休んでください。

ありがとうございました。

農園主