ちょっとコロナ以上に気になっている事柄があるので今日は少し…

 

それは、水辺の生き物の種類と密度に、この数十年でとても大きな変化が起こっているという話です。

 

要は 『カタストロフィー』 です。

 

香川照之の昆虫すごいぜ!」でも世界的な昆虫カタストロフィーが話題になっていましたが、それって本当に事実なんだと思っています。

 

というのも私は生まれつき根っからの水辺の生き物フリークという事もあり、釣りだったり水辺の生き物観察がライフワークなのですが、特にこの数年、めっきり水辺の「小さい存在たち」の種類と数が減っているように感じるのです。

何処の水辺へ行っても、ミシシッピアカミミガメとクサガメの交配種と大きなコイばかりが目立ち、昔は無数にいた小さなキラキラした存在が何処にも、何処にも見当たらないのです。

 

里山や水辺がどんどん宅地化(田畑という自然を伴わない人間の居住区だけの開発)がされて、環境自体が破壊されているという事もあるのですが、

もっと何か根源的な負の要素が現象の軸にあるような気がしてきています。

本当に異常というレベルで生き物が少ないのです。

 

共通して感じている負の要素へのヒント、

それはミヒャエルエンデの代表作。あの

『ネバーエンディング・ストーリー』

でもあった、地球人類の大多数が抱いている「虚無感」がそれに当たるのではないかという事です。

 

今の生活水準を維持できないのではという不安、先行きがみえないという不安。

どうせ何をやっても。。という絶望感。

人類のそんな投げやりな思いが積もり積もって、この世界的なカタストロフィーという現象を引き起こしているのではないかということなのです。

 

すごく語弊のある言い方で誤解を生むかもわかりませんが、あえて言ってしまえば、

稲さえ作っていれば食べていけます。

現金は必要最小限あれば生きて行けます。

 

資材や機材、納屋、住む家まで、過疎地に行けば無償で手にはいるかもしれません。

それだけ現状としては担い手がいない状況なのです。

健康な体と本気さえあれば無償で始めることだって可能なのです。

 

これはチャンスだと思いませんか?

実際にやってみればわかります。

とにかく一度自分の力で稲を作ってみてください。

きっと私がここまで言う意味を理解してもらえると思います。

 

食物の生産において、稲ほど逞しい植物は無いと思っています。

他の野菜と違って、要は誰にでも簡単に育てられるという事です。

※水使いになる、という条件付きではありますが、

 

それから、稲作の副産物である資材の力は甚大です。

米ぬかや藁や籾殻などがあれば、家族が食べる分くらいの野菜はいくらでも生産することができますし、藁や籾殻を使えば草鞋や美濃や枕だって作れます。最悪いろんな物がこの世から消え去っても生きては行けます。嘘だと思うなら博物館に行って明治以前の生活をみてみてください。

 

土地選びの際に見るべき条件は大まかに言うと

「①水の質 ②冬場にも野菜が作れるのかどうか ③獣害への対応」

この三つだけなのではないでしょうか。

 

10年ほど前からずっと私の目に浮かんでいるこれから来る次の時代のイメージなのですが、

都心部にいた人々が里山に大移動し、

田畑や水辺がセットになった巨大なビオトープを地域みんなで管理し自給自足し、

物を労働力をみんなでシェアしあい、

かつ最新のネット環境のようなものが整備され世界的な横での情報共有と知識のシャアがあり、競争ではなく、助け合いが標準になる生活です。

次から次に出てくる新たな脅威には広義の生物多様性が解決してくれるようになるでしょう。

 

そして、これはあくまで私のイメージではありますが、

未来のそこには、今のような「国」という概念はなく、

イメージとしては、昔の藩のような形か、九州、四国、中国、近畿、のような地方単位でか、境界は何処になるかはわかりませんが、ほぼ『独立した地方自治区(独立国家)』のような

そんな環境が用意されるでしょう。

と言いますか、皆の意思がそこに向かうののではないかと思っています。

今の、あえてのこのような国政は、皆がそこへ意思移行する為のカウンターであると捉えています。

 

数年前から、ずっと色んなところで私は言い続けていますが、

現状の疲弊した現代人の心の問題を払拭するヒントは、答えは、

 

『里山』

 

にある。

 

私はそれを強く信じています。

 

里山での生活に虚無感は存在しません。

 

 

みんなが本当に欲しいのは、「物ではなく心の充足」です。

 

家族や大切な人との本当の時間を取り戻してみませんか?

 

あ、話はもとに戻りますが、

現状の一番の問題は、心の虚無感が引き起こすカタストロフィーという現象です。

虚無感さえ払拭できるのであれば、里山であろうが都心であろうが、場所は関係はありません。

 

ただ、あくまで次の時代の生活拠点のトレンドは、

間違いなく、過疎と都心部の中間地点

「里山」

だという事です。

豊かな水の流れと、いつも共にある「里山」なんです。

農園主

 

 

 

 

 

 

 

カテゴリー: ひかり農園通信